大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所 昭和49年(行ウ)29号〔2〕 判決 1984年4月25日

兵庫県神戸市東灘区御影本町六丁目三番二二号

原告、亡増谷くら訴訟承継人

増谷勲

同県西宮市神園町二番五〇号

中田全子

同県同市西平町一一番四九号

増谷豊

同県同市神園町二第二〇号

亡増谷くら訴訟承継人

増谷泰久

右法定代理人親権者母

増谷芙美子

右同所

原告

増谷芙美子

右五名訴訟代理人弁護士

長桶吉彦

同県同市江上町三番三五号

被告

西宮税務署長

右指定代理人

饒平名正也

中野英生

小巻泰

武宮匡男

葛田貫

長田憲二

主文

一  被告が亡増谷義雄の昭和四四年分所得税について昭和四八年三月一〇日付けでした更正処分及び過少申告加算税賦課決定処分のうち、総所得金額二九二〇万〇六八四円を超える部分に対応する部分を原告らに対する関係でいずれも取り消す。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その四を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が亡増谷義雄の昭和四四年分所得税について昭和四八年三月一〇日付けでした更正処分及び過少申告加算税賦課決定処分のうち、総所得金額一七八万一六八四円、分離長期譲渡所得金額二二四八万二一六五円、本税額六二一万四一八〇円、過少申告加算税額一九万七二四〇円を超える部分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 訴外亡増谷くら(以下、「くら」という。)は、同亡増谷義雄(昭和四六年四月一一日死亡、以下、「義雄」という。)の配偶者であり、原告増谷勲、同中田全子及び同増谷豊(以下、「原告勲」、「原告全子」、「原告豊」という。)並びに訴外増谷晧(以下、「晧」という。)及び同亡増谷淳(同年一一月一五日死亡、以下、「淳」という。)は、義雄とくら間の子である。

(二) 原告増谷芙美子(以下、「原告芙美子」という。)は、淳の配偶者であり、同増谷泰久(以下、「原告泰久」という。)は、淳の子である。

2  本件各処分について

(一) 義雄は、昭和四四年分の所得税につき、法定期間内に被告に対し、別表(一)の確定申告欄記載のとおり確定申告をしたところ、被告は、昭和四八年三月一〇日付けで同表の更正賦課決定欄記載のとおりの更正処分(以下、「本件更正処分」という。)及び過少申告加算税賦課決定処分(以下、「本件賦課決定処分」という。)の各処分(これらの各処分を合わせて「本件各処分」という。)をした。

(二) そして、被告は、義雄の死亡に伴い、同人の相続人である原告勲、同全子、同豊、くら及び晧並びに義雄の相続人淳の相続人である原告芙美子に対し、右更正税額と申告税額との差額及び過少申告加算税額につき、納税義務があるとして、その旨の通知をした。

3  本件各処分の違法性

しかしながら、本件更正処分は、次に述べるように違法であるから、本件賦課決定処分も違法である。

(一) 被告は、義雄の確定申告にかかる所得税額のほかに、雑所得一六八五万五〇〇〇円、一時所得三六一〇万二〇〇〇円及び長期分離譲渡所得三四六万六四九八円をいずれも義雄の所得と認めて、本件更正処分をした。

(二) しかし、これらの金額は、いずれも晧の所得として計上されるべきものであり、義雄の所得を構成しない。

(三) よって、本件更正処分は、所得の帰属を誤った違法な処分である。

4  くらは昭和五七年三月五日に死亡し、その相続人である原告勲、同全子、同豊及び同泰久がくらの権利義務を承継した。

5  よって、原告らは、本件更正処分のうち、義雄の確定申告にかかる所得金額を超える金額を認めた部分及び本件賦課決定処分の各処分のうち、その相続分に応じた部分(但し、晧が義雄及び同人の相続人であるくらから相続した租税債務を除く。)の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因第1項及び第2項の各事実は、認める。

2  請求原因第3項冒頭部分の主張は争う。同項(一)の事実は認める。同項(二)及び(三)の各主張は争う。

3  請求原因第4項の事実は認める。

三  被告の主張

1  租税債務の承継について

(一) 義雄は、昭和四四年分の所得税につき、法定期限内である昭和四五年三月七日に別表(一)確定申告欄記載のとおり確定申告をしたが、昭和四六年四月一一日に死亡した。

(二) 原告勲、同全子、同豊、くら及び淳は、義雄の相続人として、同人にかかる租税債務を承継した。

(三) 原告芙美子及び同泰久は、淳の相続人として、同人が義雄から相続した租税債務を承継した。

(四) 原告勲、同全子、同豊及び同泰久は、くらの相続人として、同人が義雄から相続した租税債務を承継した。

2  本件各処分の適法性

本件更正処分は、次のとおり適法であるから、本件賦課決定処分も適法である。

(一) 総所得金額

(1) 給与所得

(イ) 収入金額 二一〇万九八八二円

これは、義雄が学校法人夙川学院(以下、「学院」ともいう。)から学院の理事長として受領した報酬であり、その額は、申告額のとおりである。

(ロ) 給与所得控除額 三二万八一九八円

これは、右(イ)に対する控除額であり、その額は、申告額のとおりである。

(ハ) よって、義雄の給与所得は、一七八万一六八四円である。

(2) 雑所得

これは、義雄が訴外株式会社山陽カントリー倶楽部(以下、「山陽カントリー」という。)に対する貸付金等の利息等として収入したものであり、その所得金額の内訳は、次のとおりである。

(イ) 収入金額

<1> 謝礼金収入

<イ> 山陽カントリーでは、資金提供者を捜し、これに同社の取引金融機関である訴外在田農業協同組合(当時。現在は同加西市農業協同組合。以下、「在田農協」という。)に預金してもらうという、同社の協力預金(以下、「導入預金」という。)を依頼して、同社の資金繰りをはかっていた。

<ロ> こうした山陽カントリーの導入預金として、昭和四四年七月一四日から同年一二月までの間に別表(二)記載のとおり、夙川学院、山田三夫、増谷くら、仲上くら及び増谷義雄の名義で在田農協に定期預金合計二億二一〇〇万円が預け入れられ、また、同年九月三日には、別表(三)記載のとおり、夙川学院及び山田三夫名義の普通預金合計二〇〇〇万円が預け入れられている。

<ハ> 右導入預金に対する謝礼金は、定期預金につき日歩一〇銭、普通預金につき日歩一二銭の割合であり、昭和四四年中に支払われた金額は、定期預金については別表(二)の、普通預金については同(三)の各謝礼金欄記載のとおりであり、その合計額は、それぞれ三六〇九万円及び七二万円である。そして、このうち義雄の取得した謝礼金収入は、別表(二)及び(三)の各義雄分欄記載のとおりであり、その合計は、一八五四万円(定期預金分一八一二万円、普通預金四二万円)である。

<2> 貸付金利息

義雄は、山陽カントリーに対し、別表(四)の<1>貸付欄記載のとおり金員を貸し付け、同表回収欄記載のとおり、右金員を回収したが、その間に貸付金利息四〇万円を受領した。

このうち、昭和四四年分の収益として計上されるのは、三二万五〇〇〇円である。なお、右金額の算出方法は、同表の(注)に記載したとおりである。

<3> 従って、雑所得の収入金額は、前記<1>及び<2>の合計である一八八六万五〇〇〇円である。

(ロ) 必要経費

必要経費の内訳は次のとおりであり、その合計額は二〇〇万円である。

<1> 交通費 五二万五〇〇〇円

<2> 交際費 七〇万円

<3> 通信光熱費 一七万五〇〇〇円

<4> 支払手数料 六〇万円

(ハ) よって、義雄の雑所得は、前記(イ)から(ロ)を控除した金額である一六八六万五〇〇〇円である。

(3) 一時所得

(イ) 収入金額

<1> 学院の理事長であった義雄は、昭和四四年七月五日に、晧を代理人として学院の所有にかかる神戸市東灘区魚崎町横屋字浜横屋七四七番地の宅地六〇一六平方メートル(以下、「魚崎校地」という。)を訴外日産ディーゼル兵庫販売株式会社(以下、「日産ディーゼル」という。)に三億一八五一万七五〇〇円で譲渡した。

<2> 義雄は、その際に売買金額を二億八二一一万五五〇〇円として圧縮取引をし、この金額と実際の譲渡価額との差額である三六四〇万二〇〇〇円を取得した。

<3> よって、義雄の一時所得にかかる収入金額は、三六四〇万二〇〇〇円である。

(ロ) 右収入金額にかかる必要経費は、存在しない。

(ハ) 特別控除額

所得税法(昭和四六年法律第一八号による改正前のもの。以下、「旧所得税法」という。)三四条三項によれば、特別控除額は、三〇万円である。

(ニ) よって、義雄の一時所得の金額は、前記(イ)から(ハ)を控除した三六一〇万二〇〇〇円である。

(4) 従って、義雄の総所得金額は、前記(1)及び(2)の各金額並びに同(3)の二分の一の金額(所得税法三四条一項、二二条二項二号)の合計である三六六九万七六八四円である。

(二) 分離長期譲渡所得

(1) 譲渡所得

義雄は、くらとの共有地である神戸市東灘区御影石町三丁目一九六番地宅地一五一七・八一平方メートル(持分各二分の一、以下、「御影石町土地」という。)を昭和四四年七月一一日に訴外川島虎一(以下、「川島」という。)に五九六八万八二〇〇円で売却した。

よって、義雄の譲渡収入金額は、右譲渡価額のうち、その共有持分に相当する二九八四万四一〇〇円である。

(2) 取得費

御影石町土地は、義雄が昭和二七年一二月三一日以前から引続き所有していた土地であるから、義雄の持分に関する取得費は、昭和四八年法律第一〇二号による改正前の租税特別措置法(以下、「旧措置法」という。なお、現在の措置法については、「措置法」という。)三一条の二第一項により、右譲渡価額の百分の五に相当する一四九万二二〇五円である。

(3) 譲渡費用

御影石町土地の譲渡に際して支出した費用は、合計二八〇万六四六四であり、その内訳は、次のとおりである。

(イ) 仲介手数料 一七九万〇六六四円

(ロ) 登記に要した費用 一万五八〇〇円

(ハ) 道路等改修費用 一〇〇万円

従って、義雄にかかる譲渡費用は、右譲渡費用のうちその共有持分に相当する一四〇万三二三二円である。

(4) 特別控除額

長期譲渡所得の特別控除額は、措置法三一条二項により、一〇〇万円である。

(5) よって、義雄の昭和四四年分の分離長期譲渡所得は、前記(1)から(2)ないし(4)の合計額を控除した金額である二五九四万八六六三円である。

(三) 従って、本件更正処分は適法である。

3  以上のとおりであるから、原告らの本訴請求は、いずれも理由がない。

四  被告の主張に対する認否

1  被告の主張第1項は認める。

2  被告の主張第2項について

(一) 同項冒頭部分の主張は争う。

(二) 同項(一)について

(1) 同(1)の事実は認める。

(2) 同(2)の主張は争う。

(3) 同(3)について

(イ) 同(イ)の<1>のうち、学院が晧に代理権を授与したこと及び譲渡価額は否認し、その余の事実は認める。魚崎校地の売買代金は、二億八二一一万五五〇〇円である。同<2>の事実は否認する。同<3>の主張は争う。

(ロ) 同(ハ)及び(ニ)の各主張は争う。

(4) 同(4)の主張は争う。

(三) 同項(二)について

(1) 同(1)の前段のうち、譲渡価額が五九六八万八二〇〇円であることは否認し、その余の事実は認める。譲渡価額は、五〇五〇万五四〇〇円である。同後段の主張は争う。

(2) 同(2)ないし(5)の各主張は争う。

(四) 同項(三)の主張は争う。

3  被告の主張第3項の主張は争う。

五  原告らの反論

1  義雄と晧との関係について

(一) 義雄は、同人の先代が魚崎町(現在、神戸市東灘区)所在の魚崎校地で経営していた裁縫学校を戦後、現在の西宮市神園町に移転して、その名称を現在の夙川学院と改め、子女の教育に対する大いなる情熱と非常な努力とをもって、これを現在の学院に育てあげた人物であり、その後半生をすべて教育にささげ、熱心な教育者として、また、厳正な人格者として定評のあった人物であった。従って、同人は、圧縮取引をしてその差額を着服したり、計画的に脱税方法を考えたりするような人物ではなかった。

ところが、同人の三男の晧は、兄弟の中でただ一人定職にもつかず、不動産ブローカーのような仕事に手を染め、昭和三〇年には義雄の印鑑を偽造し、同人の名義を冒用して第三者から借金をし、その担保として義雄所有の不動産五筆(学院の敷地として使用中の土地)に抵当権等を設定したために、義雄が晧を告訴し、その結果、晧は有罪判決を受けて実刑に服したこともあった。また、その後同人は、昭和四一年ころにも刑事事件を起こし、逮捕、起訴されたことがあった。

このような事情から、義雄は、晧に対して常に警戒心を持ち、自己の財産の処分を同人に委ねることはなかった。

(二) ところが、義雄は、昭和三九年に脳溢血で倒れたのを始め、その後も二回ほど脳溢血で倒れ、更に、脳軟化症、心筋こう塞の疾病を発し、昭和四三年ころからは病状が特に悪化し、たびたび心臓発作を起こし、ほとんど病床にあった。そして、そのころから義雄は、言語障害のため、話す言葉も明瞭でないばかりではなく、人の話の内容も十分に判断できない状態となっていた。

(三) 他方、晧は、昭和四三年に前記昭和四一年の刑事事件につき、執行猶予刑に処せられて釈放されたのちも定職を持たず、その日暮らしの生活をしていたものであるが、義雄が右(二)のような状態になるや、急に毎日のように義雄方に出入りし始め、遂には同人の代理人と称して行動するようになった。しかし、その実体は、義雄においてもはや十分な判断能力がなくなったのを奇貨として、晧が勝手に義雄の代理人のように振舞っていたにすぎないものである。

2  本件更正処分の違法

(一) 前述したように、義雄は、熱心な教育者及び厳正な人格者として定評のあった人物であった。従って、このような同人が、自己又は学院の資金を導入預金として運用し、その裏利息を自己のものとして取得したり、土地の売却に際して圧縮取引をし、その差額を自己のものとして取得するなどということは、あり得ないことである。

(二) 山陽カントリーからの謝礼金及び貸付金利息について

(1) 本件で被告の主張するような導入預金が行われていたとしても、それは、晧が義雄に無断で同人の預金等の資産を運用し、これによる裏利息を受領しながら、これをすべて自分で着服したものであり、義雄は導入預金には全く関与していなかった。

仮に、右主張が認められず、義雄が導入預金に関与した事実が存在するとしても、義雄は、前述のような病状にあって、資金運用等につき、もはや正常な判断能力を有しなかったのであるから、それは、単に形式上のものにすぎず、もとより、同人が導入預金につき十分な賑識を有したうえでの関与ではない。

(2) 仮に、義雄が実質的に導入預金に関与していたとしても、同預金に係る裏利息を取得すべきものは資金提供者である以上、学院名義の預金については、学院がその実質的な利得者とみるべきであるから、学院名義の裏利息については、これを義雄の所得とみるべきではない。

(3) また、山陽カントリーに対する貸付金についても、すべて晧が貸付をしていたものであり、義雄は全く関与していない。

(4) よって、これらの謝礼金及び貸付金利息は、義雄の所得を構成しない。

(三) 魚崎校地の売却について

右土地の売却は、晧が義雄からの委任を受けたと勝手に称してしたものであるうえ、その圧縮取引も晧が無断で行い、その差額も全部着服している。

よって、圧縮取引にかかる差額は晧の所得にほかならず、仮に、同人が学院に右金員を返還するとすれば、学院の所得になるべきものであるから、いずれにしても義雄の所得ではない。

(四) 御影石町土地の売却について

(1) 右土地の売却は、晧が義雄において判断能力がなくなったのを奇貨として、義雄の有する資産の運用による利得を計画して行われたものである。

しかも、晧は、右土地の売却の当時は、所有者である義雄及びくらの承諾を取り付けておらず、売却後に強引に両名の事後承諾を取り付けたものである。

(2) ところが、晧は、右売買の際に圧縮取引をしておきながら、義雄らに対しては、譲渡価額が五〇五〇万五四〇〇円であったと説明し、実際の譲渡価額との差額をすべて着服したものである。

(3) よって、右圧縮取引にかかる差額は、晧の所得とみるべきものである。

(五) このように、前記(二)ないし(四)記載の各金額は、いずれも義雄の所得ではない。

3  よって、本件更正処分は違法である。

六  原告らの反論に対する認否

1  原告らの反論第1項のうち、義雄が学院の理事長の地位にあったことは認め、その余の事実は知らない。

2  原告らの反論第2項について

(一) 同項(一)の主張は争う。

(二) 同項(二)の主張は争う。

(三) 同項(三)の事実は否認する。

(四) 同項(四)の(1)のうち、義雄らが御影石町土地の売却に承諾を与えていることは認め、その余の事実は否認する。同(2)のうち、右土地の売却につき圧縮取引が行われたことは認め、その余の事実は否認する。

(五) 同項(五)の主張は争う。

3  原告らの反論第3項の主張は争う。

第三証拠

本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

第一  請求原因第1項(当事者間について)及び第2項(本件各処分の存在)並びに被告の主張第1項(租税債務の相続)の各事実は、いずれも当事者間に争いがない。

第二本件各処分の適否について

一  本件各更正処分について

1  義雄の総所得金額

(一) 給与所得

義雄の昭和四四年分の給与所得が一七八万一六八四円であることは、当事者間に争いがない。

(二) 雑所得

(1) 雑所得にかかる収入について

(イ) 成立に争いのない甲第五八ないし第六二号証、乙第四、第五、第九(甲第六一号証と同じもの)、第一一号証、第一四ないし第二〇号証、第二三ないし第二七号証、第三二ないし第三六号証(甲第五八ないし第六〇号証は、原本の存在も争いがない。)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

<1> 山陽カントリーは、設立当初から資金繰りに窮し、代表者である訴外藤井邦彦(以下、「藤井」という。)が在田農協の準組合員となって、同農協から融資を受けていたものの、右貸付金が膨大になったことから、これに対する何らかの見返りが必要となった。

そこで、山陽カントリーは、昭和四三年ころからは、右融資を継続してもらう見返りとして、在田農協へ預金(導入預金)をしてくれる資金提供者を募り、右預金に対する謝礼として、在田農協が当該預金者に支払う正規の預金利息とは別に、山陽カントリーが日歩一〇銭程度の謝礼金(裏利息)を支払うこととし、金融ブローカーなどに右資金提供者の仲介を依頼していたところ、昭和四四年七月ころ、右依頼を受けた金融ブローカーの一人である訴外小城芳武(以下、「小城」という。)は、知人で、そのころ義雄方に出入りしていた晧に対し、右導入預金の話を持ちかけた。

<2> ところで、この当時、義雄は、後述するように、学院の魚崎校地及びくらと共有の御影石町土地を売却したことから、これらの売却代金の効果的な運用を考えていた。

そこで、これらの土地の売却にも関与し、義雄からそれなりの評価を受けていた晧は、小城の提案に同意し、右売却代金を山陽カントリーへの導入預金として在田農協に預けるよう義雄に説くとともに、小城からも導入預金をすれば正規の利息以外に裏利息が入るから銀行に預金するよりも有利である旨説明させた(もっとも、後述するように、晧は、導入預金の裏金利(謝礼金)については、自己の取り分を捻出するために、小城には義雄に対して実際の利率よりも低い利率である旨説明させている。)ところ、義雄も右導入預金をすることに同意した。

<3> こうして、晧は、義雄の承諾を取り付け、義雄の承諾のもとに学院、義雄、くらの預金(但し、義雄及びくらの預金については、架空名義のものもあった。)などを資金として、別表(二)(定期預金について)及び(三)(普通預金について)記載のとおり在田農協に導入預金をした。なお、右別表記載の預金において学院名義の預金は学院の資金から、また、その余の名義は、義雄又はくらの資金からそれぞれなされている。

そして、これら導入預金の謝礼として、当時山陽カントリーの経営面を担当しており、同社の常務取締役の地位にもあった訴外荒木静(以下、「荒木」という。)は、右の各預金の日に晧に対し、別表(二)及び(三)の各謝礼金欄記載の額の謝礼金(定期預金につき合計三六〇九万円、普通預金につき七二万円)を交付しているが、その際、荒木は、在田農協に対して行われた預金の名義及び謝礼金が誰に分配されたかについて関心を示したことはなかった。また、右謝礼金は、山陽カントリーの経理上は、同社社長に対する借入金の返済として処理がされた。

なお、このうち、昭和四四年七月一四日及び同月一七日の二回は、小城ら関与した仲介人を介して謝礼金の受渡しがされた(その一部は、これらの仲介人にも分配されている。)ものの、その後は、荒木と晧との間で直接現金又は先日付小切手により、謝礼金が渡されている(先日付小切手は、その後すべて決済されている。)が、晧は、このうちの一部しか義雄に交付せず、その差額分を着服している。

なお、この間、在田農協からは、各預金名義人に対し、正規の利息が支払われており、学院の資金に対応する預金利息は、学院の会計に組み入れられている。

<4> こうして、在田農協に対する導入預金が継続して行われていく過程において、山陽カントリーは、晧から直接金員を借りるようになったが、更に、同人を介して義雄からも別表(四)記載のとおりの金員を借り受け、これについては、同表<2>決済方法欄記載のとおり決済されたが、その間少くとも同表<3>記載の各利息合計四〇万円が晧を介して義雄に支払われている。

<5> 義雄は、このようにして得た謝礼金については、学院の資金で預金したものについても、これを学院の会計に組み入れなかった。

<6> また、義雄は、このように導入預金を続ける間、あいさつに訪れた荒木及び藤井と数回にわたって学院の理事長室又は学院内の自宅で会っており、晧の案内でくらとともに在田農協及び山陽カントリーを訪れたこともあった。そして、荒木が直接義雄に対して貸金等の依頼をしたこともあった。

以上のような事実が認められ、原告勲本人尋問の結果(第一ないし三回。特に断わらない限り、以下同じ。)中右認定に反する部分は、前掲他の証拠に照らしてにわかに信用できず、他にこの認定を左右するに足りる証拠はない。

(ロ) なお、原告らは、前記導入預金の行われていた当時の義雄は、脳溢血、脳軟化症、心筋こう塞などで病床にあり、人の話の内容すら十分には理解できないような病状であったのであるから、こうした同人が導入預金の内容を理解し、自らの判断によって謝礼金等を受け取るというようなことはあり得ない旨主張し、証人三好芳雄の証言により真正に成立したものと認められる甲第二三号証、同証言及び原告勲本人尋問の結果中には、当時の義雄の病状につき、原告らの主張に沿う部分が存在する。

しかしながら、義雄が導入預金の内容について一応の認識を有し、これに関与していたことは、前記認定のとおりであるし、かえって、前掲甲第二三号証、成立に争いのない乙第二七及び第三六号証、三好証言、原告勲本人尋問の結果(但し、後記認定に反する部分を除く。)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

<1> 義雄は明治二三年一月一三日生まれであり、先代の創設した増谷高等女学校を今日の夙川学院に発展させた学院の創設者として、長く学院の理事長の職にあったものであるが、昭和三九年の秋に脳溢血で倒れて以降は健康がすぐれず、その後、昭和四一年及び昭和四三年にも脳溢血で倒れ、更に、昭和四四年には心筋こう塞を起こして二か月ほど三好病院に入院した。そして、同病院退院後も週一回程度同病院の医師である訴外三好芳雄(以下、「三好医師」という。)の往診を受けていたが、その間脳軟化症の症状も呈していた。

<2> しかし、義雄は、昭和四六年四月一一日に死亡するまでは学院の理事長の職にあったほか、昭和四四年三月末までは、当時副校長であった原告勲の補佐を得ながらも、学院の中学、高校の学校長も兼任していた。そして、右学校長を辞職したのちも、死亡に至るまで、年に三、四回催される理事会には出席していた。

<3> 更に、義雄は、死亡する数年前からは、学院に出動することも少く、学院の一般事務については当時理事でもあった原告勲に代行させることが多かったが、学院の事務の決裁に必要な理事長印及び記名印は直接自己の身辺において保管し、他人に預けることはなく、また、学院の支出関係については、学院の職員を自宅に通わせて決裁をし、死亡の直前ころまで最終的な決定権を保持していた。

<4> なお、三好医師が作成した義雄についての診断書(甲第二三号証)は、義雄を死亡直前まで診察した同医師が昭和五二年一〇月三日付けでその記憶に基づいて義雄の病状を記載したものであるが、同人のいつの時点の病状を記載したものであるかは、必ずしも明らかではない。そして、三好医師の記憶によっても、死亡の直前ころを除き、義雄が常時判断能力を欠いているというようなことはなかった。

以上のような事実が認められ、原告勲本人尋問の結果中、右認定に反する部分は前掲他の証拠に照らし、にわかに信用することができず、他に右認定を左右するに足る証拠はない。

従って、右認定事実によれば、原告らの前記主張に沿う前記各証拠は信用できず、他に右主張を認めるに足りる証拠はない。

よって、原告らの右主張は、採用できない。

(ハ) 更に、原告らは、本来導入預金に係る謝礼金を取得すべきものは、当該導入預金の資金提供者である以上、本件においても学院名義の預金の謝礼金(裏利息)については、これを義雄の所得とみるべきでない旨主張する。

しかしながら、所得は、経済上の成果を現実に享受している者に帰属すべきものであるところ、本件の謝礼金(裏利息)は、前述のとおり、在田農協から預金者に対して支払われる正規の預金利息とは異なり、山陽カントリーが、その依頼に応じて資金を提供したことに基づいて、右提供者又はその仲介者に対し、謝礼金として支払われるものであって、その者が当該提供資金の帰属主体であるかどうかを問わないものである。そして、右謝礼金等が学院の会計に組み入れられていないことも前述のとおりである。

よって、原告らの右主張も採用できない。

(ニ) 収入金額について

<1> 謝礼金について

<イ> 以上述べたところによれば、義雄は、自らの意思に基づいて在田農協への導入預金を決定し、その謝礼金の一部を取得したものと認めるのが相当であるから、右取得にかかる謝礼金は、同人の所得と認めるのが相当である。

<ロ> そこで、前記認定の三六八一万円の謝礼金のうち、どれだけを義雄が取得したかについて検討する。この点について、前掲甲第五八、第六〇号証及び乙第五、第一一号証によれば、荒木、小城及び藤井は、いずれも晧に対する所得税法違反被告事件(神戸地方裁判所昭和四八年(わ)第二四五号)の公判廷及び捜査段階において、導入預金の話を義雄にするときには、日歩三ないし五銭の利息である旨申し向けるよう晧から依頼された旨供述していることが認められる。

他方、前掲乙第一七ないし第一九号証、第三五号証及び成立に争いのない甲第六二号証によれば、晧は、右被告事件の査察及び刑事事件としての捜査の各段階において、当初は、定期預金につき、義雄が日歩七銭、晧が同三銭をそれぞれ取得した旨供述していながら、その後、ほぼ折半、あるいは義雄が日歩三銭、晧が同七銭をそれぞれ取得したと供述するなど、その供述内容は一貫性を欠き、更に、普通預金(日歩一二銭)の内訳については、必ずしも明らかな供述をしていないこと及び被告が本件訴訟においてその主張の根拠とする晧作成の計算表(同人の検察官に対する昭和四八年三月七日付け供述調書(乙第一九号証)末尾に添付されたもの)に記載されている義雄と晧との取得分の内訳についても、前述した晧の各供述とは必ずしも一致しないことが認められ、右計算表の記載内容の正確性を裏付ける徴憑類も存在しない。

更に、第一、二回の導入預金については、前述のとおり、小城らの仲介者に対しても、謝礼金の分配が行われているので、それだけ義雄の取得分が少くなっていると考えられる。

<ハ> このようにみてくると、義雄が実際に取得した謝礼金の額は必ずしも明らかではないが、前記認定の事実関係によれば、その額は、普通預金及び定期預金を通じ、支払われた謝礼金の三割を下回ることがないことは明らかである。

よって、同人の昭和四四年分の謝礼金収入は、前述した同年中に支払われた謝礼金合計三六八一万円(定期預金分三六〇九万円、普通預金七二万円)の三割である一一〇四万三〇〇〇円と認めるのが相当である。

<2> 受取利息について

前記認定の事実によれば、義雄が山陽カントリーに対する貸付によって取得した受取利息四〇万円は、同人の所得と認めるべきであるが、この利息のうち昭和四五年一月一日以降の一五日分については、同年の収益に計上されるべきである。

よって、昭和四四年分の収益とされるべき貸付金利息は、右四〇万円からその八〇分の一五を控除した金額である三二万五〇〇〇円である。

(ホ) よって、義雄の収入金額は、前記(ニ)の<1>及び<2>の合計である一一三六万八〇〇〇円である。

(2) 必要経費

成立に争いのない乙第二九号証及び弁論の全趣旨によれば、右(1)の収入を得るために支出した経費は二〇〇万円であること(その内訳は、被告の主張第2項(一)の(2)の(ロ)である。)が認められ、義雄において、右額を上回る経費を支出したことを認めるに足りる証拠はない。

よって、必要経費は、二〇〇万円と認めるのが相当である。

(3) 従って、義雄の雑所得は、前記(1)から(2)を控除した九三六万八〇〇〇円となる。

(三) 一時所得

(1) 収入金額

(イ) 学院が魚崎校地を昭和四四年七年五日に日産ディーゼルに譲渡したことは、当事者間に争いがない。

(ロ) 前掲乙第二五及び第二六号証、成立に争いのない乙第六、第八、第二〇及び第二二号証、原告勲本人尋問の結果(但し、後記信用しない部分を除く。)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

<1> 魚崎校地は、戦前は、学院の前身である増谷高等女学校の旧校地であったが、戦災によって校舎が焼失したのちは、更地として学院が所有していた。

<2> ところで、昭和四四年六月ころ、日産ディーゼルから学院に対し、右土地を購入したいとの申し出があり、義雄からその交渉を委ねられていた晧は、右売買に仲介人として関与していた訴外松本土地株式会社の会長である訴外松本仙太郎及び同社の従業員である訴外淡路勇(以下、「淡路」という。)らと交渉した結果、学院と日産ディーゼルとの間で魚崎校地の売買契約が成立した。

なお、この際、義雄は、自ら右仲介人らとも会い、それまで三・三平方メートル当たり一八万円をめぐって交渉が続けられていたのを、自らの判断で五〇〇〇円値下げして、三・三平方メートル当たり一七万五〇〇〇円、代金総額三億一八五一万七五〇〇円で売買契約を成立させている。

<3> そして、昭和四四年六月一六日には、一〇〇〇万円の手付が、また、同年七月五日には残金がそれぞれ当事者間で授受されたが、義雄は、このいずれにも売主である学院の代表者として立ち会っている。

<4> ところが、その後晧は、淡路に対し、義雄の意向であるとして、右売買契約を実際よりも三〇〇〇万円余り少ない二億八二一一万五五〇〇円と仮装するよう依頼し、これを了承した淡路は、その旨の契約書を作成している。そして、これに基づく三六四〇万二〇〇〇円の差額は、学院の会計には組み入れられておらず、魚崎校地の売買代金として学院の会計に組み入れられたのは、二億八二一一万五五〇〇円のみである。

<5> なお、晧は、義雄に魚崎校地の売却を承諾させた謝礼として、淡路から、同人が学院から受領した仲介手数料の中から、その約半額に相当する四七〇万円を受領し、更に義雄からも謝礼を受け取っている以上のような事実が認められ、原告勲本人尋問の結果中、右認定に反する部分は、前記他の証拠に照らしてにわかに信用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(ハ) 右認定の事実によれば、義雄は、学院の理事長として、自ら売買代金額を決定し、かつ、売買契約の締結及び売買代金の授受にも立ち会っておりながら、売買代金の一部を学院の会計に組み入れなかったものであり、この事実に前述のとおり、義雄が学院の資金以外によっても、後記認定の御影石町の土地の売買代金額をはるかに超える額の導入預金をしている事実を合わせ考えると、実際の売買代金額と前記圧縮金額との差額である三六四〇万二〇〇〇円は義雄が取得したものと認めるのが相当である。

(ニ) なお、原告らは、この当時の義雄は、病床にあり、正常な判断のできる状態にはなかった旨主張するが、右主張は、前述したのと同じ理由により、採用できない。

(ホ) 従って、義雄の収入金額は、三六四〇万二〇〇〇円である。

(2) 必要経費

本件全証拠によっても、右収入金額を取得するための必要経費を認めることはできない。

(3) 特別控除額

旧所得法三四条三項によれば、一時所得についての特別控除額が三〇万円であることが認められる。

(4) よって、義雄の一時所得の金額は、前記(1)から(3)を控除した三六一〇万二〇〇〇円である。

(四) 以上のとおり、義雄の昭和四四年分の総所得金額は、前記(一)及び(二)の各金額並びに(三)の二分の一の金額(所得税法三四条一項、二二条二項二号)の合計額の二九二〇万〇六八四円であるから、本件更正処分のうち、右金額を超えて義雄の総所得金額を認めた部分には、同人の所得金額を過大に認めた違法が存在するというべきである。

2  分離長期譲渡所得

(一) 譲渡金額について

(1) 義雄及びくらが御影石町土地を川島に昭和四四年七月一一日に譲渡したことは当事者間に争いがない。

(2) 前掲乙第二〇、第二二、第二五及び第二六号証、成立に争いのない乙第七号証、原告勲本人尋問の結果(後記信用しない部分を除く)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(イ) 義雄は、くらとの共有地(持分各二分の一)である御影石町土地を売却することとしたが、これを聞知した宅地建物取引業者の訴外木村政雄が義雄のもとに訪れ、右売買の話を切り出したところ、義雄は、「土地の売買の話は晧にしてくれ。」と申し向けたため、その後、売買の交渉は、晧と木村との間で行われた。

(ロ) 他方、木村は川島に右土地の買取りの話をもちかけ、結局、同人の仲介により、義雄と川島間において、右土地を五九六八万八二〇〇円(三・三平方メートル当たり一三万円)で売買する旨の合意が成立した。

(ハ) そして、同年六月二二日に手付金一〇〇〇万円が、同年七月一一日には残金四九六八万八二〇〇円がいずれも義雄の自宅において授受されたが、義雄は、右のいずれにも立ち会っている。

(ニ) くらは、本件更正処分に対しては、義雄の相続人として原告勲らとともに不服申立てをしているにもかかわらず、御影石町土地の自己の共有持分についての譲渡所得に関する更正処分に対しては、不服申立てをしていない。

以上のような事実が認められ、原告勲本人尋問の結果中右認定に反する部分は、前掲他の証拠に照らしてにわかに信用することができず、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(3) 右認定事実によれば、義雄及びくらが御影石町土地の売却に同意し、かつ、その譲渡代金を知悉していたことは明らかである。

なお、原告らは、この当時の義雄は病気がちで、正常な判断のできる状態にはなかった旨主張するが、同人の健康状態等に開する前記認定事実及び御影石町土地の売買における同人の関与の態様に照らすと、右主張は採用できない。

(4) よって、御影石町土地の譲渡金額は、前述のとおり五九六八万八二〇〇円と認めるべきであるから、このうち、義雄にかかる譲渡収入金額は、右譲渡価額のうち、その共有持分に相当する二九八四万四一〇〇円である。

(二) 取得費

(1) 弁論の全趣旨によれば、義雄は、昭和二七年一二月三一日以前から御影石町土地を共有していたことが認められる。

(2) ところで、旧措置法三一条の二第一項によれば、昭和二七年一二月三一日以前から引続き所有していた資産を譲渡した場合における長期譲渡所得の金額の計算上収入金額から控除する取得費は、実際の取得価額と取得日以後の設備費、改良費の合計額が譲渡価額の百分の五を超えることが証明されない場合には、当該収入金額の百分の五に相当する金額とするとされている。

そして、本件全証拠によっても、御影石町土地の受際の取得価額と取得日以後の設備費、改良費の合計額が五九六八万八二〇〇円の百分の五を超えることを認めるに足りる証拠はない。

(3) よって、御影石町の取得費は、五九六八万八二〇〇円の百分の五に相当する二九八万四四一〇円であるから、義雄についての取得費は、一四九万二二〇五円である。

(三) 譲渡費用

前掲乙第二九号証及び弁論の全趣旨によれば、御影石町土地の譲渡に際して支出した費用が二八〇万六四六四円(その内訳は、被告の主張第2項(二)の(3)の(イ)ないし(ハ)記載のとおりである。)であることが認められる。

よって、義雄にかかる譲渡費用は、右譲渡費用のうち、その共有持分に相当する一四〇万三二三二円である。

(四) 特別控除額

措置法三一条二項によれば、長期譲渡所得の特別控除額は、一〇〇万円である。

(五) よって、義雄の昭和四四年分の分離長期譲渡所得は、前期(一)から同(二)ないし(四)の合計額を控除した二五九四万八六六三円である。

3  本件更正処分の適否について

前述のとおり、義雄の昭和四四年分の分離長期譲渡所得は二五九四万八六六三円であるから、本件更正処分のうち、右譲渡所得を認めた部分は適法であるが、同人の同年分の総所得金額は、二九二〇万〇六八四円と算定すべきこととなるから、同処分中この金額を超えて右所得金額を三六六九万七六八四円とした部分には、所得金額を過大に認定した違法がある。

二  本件賦課決定処分について

1  義雄が法定期限内に別表(一)確定申告欄記載の確定申告をしたことは、当事者間に争いがない。

2  ところで、義雄が昭和四四年分の総所得金額を三六六九万七六八四円、同分離長期譲渡所得額を二五九四万八六六三円とする所得税の確定申告をしなかったために本件更正処分を受けたことは弁論の全趣旨により明らかであるが、前述のとおり、本件更正処分のうち、二九二〇万〇六八四円を超える総所得金額を認めた部分は違法であるから、右金額を超える部分については、本件賦課決定処分も違法である。

しかしながら、義雄が前記認定の総所得金額及び分離長期譲渡所得金額について確定申告をしなかったことについて、国税通則法六五条二項但し書きに規定する「正当な理由」の存在を認めるに足りる証拠はない。

3  よって、本件賦課決定処分のうち、総所得金額二九二〇万〇六八四円を超える部分に対応する部分は違法である。

三  本件各処分の適否について

以上のとおりであるから、本件各処分のうち、総所得金額二九二〇万〇六八四円を超える部分に対応する部分はいずれも違法であるから、この限度において取り消されるべきである。

第三結論

よって、原告らの本訴請求は、右違法部分の取消しを求める限度において理由があるのでこれを認容し、原告らのその余の請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九二条本文、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 村上博巳 裁判官笠井昇及び同田中敦は、いずれも転補につき、署名捺印することができない。裁判長裁判官 村上博巳)

別表(一)

<省略>

別表(二)

在田農業協同組合定期預金設定明細及び受取謝礼金明細 昭和44年

<省略>

<省略>

(註) 継続分は預金金額の合計には算入していない。

別表(三)

<省略>

別表(四)

<省略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例